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倉田 直道
工学院大学建築都市デザイン学科教授 |
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建築家の仕事
倉田 直道
私自身考えるに、現在のJIAの会員の中では私は多少異分子かもしれない。何故なら、少なくとも外からは、私は建築作品を創り続けている建築家というより、どちらかといえば都市プランナーであるとみられているに違いないからである。確かに私自身の日常の業務内容をみると、都市開発に関わるマスタープランやガイドラインづくり、近隣商店街などを中心とするまちづくり、街路や広場などの公共空間の設計、橋梁の景観設計、都市開発・都市計画やまちづくりに関わる調査研究など都市に関わるものが大きな位置を占め、一般にいわれる建築そのものの設計は3年に1件程度で、その限りにおいては、確かに建築家とみられていなくても仕方のないことかもしれない。但し不思議なことに、私自身これまでに建築家であることをやめようと思ったことは一度もないし、また、建築だけを設計する人が建築家であるといった固定した建築家像を持ったこともないのも事実である。多少傲慢な物言いを許してもらえるなら、建築家として興味や好奇心の赴くままにやってきただけであり、これからもその基本的なスタンスは変わらないように思われる。
都市デザインとの出会い 改めて振り返ってみると、私が都市や都市デザインに興味を持つ直接のきっかけとなったのは、大学の卒論のテーマに景観をとりあげたことであった。また学生時代に、都市を単なる建築的造形の対象物としてだけ考える極めて楽観的な建築家たちによる都市ビジョンの提案に対して、有機体としての都市や都市の生成プロセスに関心を持ったこともあげられるだろう。K.リンチの「都市のイメージ」やG.カレンの「タウンスケープ」、都市デザイン研究体による「現代の都市デザイン」「日本の都市空間」「日本の広場」、そして一連の街並みや集落のデザインサーベイへの取り組みは、私自身の都市及び都市デザインというものへの関心を後戻り出来ないものにするに十分なほど刺激的であった。 大学院における研究活勤の後、都市及び都市デザインヘの関心をさらに発展させる大きな契機となったのが、米国カリフォルニア大学大学院アーパンデザイン・プログラムへの留学と約5年に渡る米国での生活体験であった。とりわけ、D.アプリヤード教授、 A.ジェイコブス教授、R.ベンダー教授のもとで都市デザインを実践的に学ぶことができたのは、私自身にとってかけがえのない財産ともいえるものである。「LIVABLE STREETS」などの著作やK.リンチの共同研究者として知られる故アブリヤード教授との出会いは、私自身の都市に対する興味を、それまでの景観という限定的な領域から開放し、都市デザインそして環境デザインというより包括的な領域に向わせる大きな契機となった。アプリヤード教授の主宰する環境シミュレーション研究所で私自身が実際に参加したいずれのプロジェクトも、その計画対象となる地区住民をワークショップによりその計画ブロセスに参加させていることに特徴があり、まちづくりにおける住民参加の意義と計画プロセスにおけるパブリック・コミュニケーションの必要性を実践を通して理解した貴重な経験であった。ジェイコブス教授は、サンフランシスコ市の都市計画局長を務め、米国の都市で最初の都市デザインのマスタープランを作成したことで知られているが、彼からは、都市を先入観や知識で評価するのではなく、歩いて自らの眼や身体で確認することが如何に大切であるかということ、都市政策としての都市デザイン(日本でいえば都市景観行政に近い)の意義とその可能性を学んだ。またベンダー教授からは、彼をリーダーとするカリフォルニア大学キャンパスの計画チームに参加する機会を与えてもらい、米国における近代都市計画の起源ともいえる都市美運動の影響を受けた生きた教科書である大学キャンパスの計画づくりを通して、新しい都市環境デザインの可能性を実践的に学ぶことができた。私が米国に滞在していた1970年代後半は、米国における都市デザインの評価が大きく変化した時期であり、大学の内外で研究者及び建築家や都市プランナー等の実務家を巻き込み都市デザインを巡っての議論が激しく闘わされており、その渦中に一時期とはいえ身を置くことが出来たことも幸運であったといえるだろう。 都市デザインへのこだわり 私自身の都市デザインに対する関心は、固定された将来の都市像に向けて予定調和的に都市づくりやまちづくりを進めていくことよりは、その環境を構成する様々な要素の間の関係にこだわりながら、公共性という甚だ曖昧な価値を拠り所にその関係を創り出していくことにあるような気がする。しかし現実の業務を通して実感することは、実務としての都市デザインは明らかに隙間産業であり、建築、土木、造園、都市計画といった既存の領域がカバーしきれない境界部分、あるいはこれらの既存の領域を関係づける仕事であるということである。私自身が関わっている<都市デザイン>と呼ばれている仕事を抽象的ではあるが整理してみると、 1.大規模建築物の基本デザイン 2.建築の集合体(群)の配置デザイン 3.街並みの修景デザイン 4.外部空間のデザイン 5.都市のビジョンづくり 6.都市の公共空間のデザイン 7.都市構造のデザイン 8.都市政策としての景観コントロール の何れかに分類可能である。これらはいずれも、都市デザインのある様相を表しているだけで、決して都市デザインの全体像を明らかにするものではないだろう。まさにこれがヌエのような都市デザインの本質ともいえるものであろう。 成熟した市民社会形成と環境共生へ向けて バブル経済の崩壊により我が国の都市はこれまでに体験したことのない低成長時代へと歩み始めている。博覧会に代表される一過性の建築の都市への関わりが、もはや都市づくりのモデルや牽引力にはなり得ないことは明白である。バブル華やかなりし頃には、大規模な都市開発プロジェクトの陰に隠れて、地味で見え難かった次の時代を予兆させるまちづくりや都市づくりの取り組みとして、地方都市のまちづくりへの建築家の参画がある。まちづくりやコミュニティづくりのプロセスの調整者としての建築家の参画は、コミュニティ・アーキテクトと呼べる新たな建築家の職能の可能性と建築家像を示している。これらの取り組みは、地域住民のまちづくりなどのコミュニュティ活動やそれに伴う意思決定プロセスへの積極的な参加といった我が国における成熟した市民社会形成へ向けての動きとも呼応するものと理解できる。 21世紀に向けて建築及び都市が共通に取り組まなければならないもう一つの大きな課題は地球という全体環境と共生していくことのできるサステイナブルな社会づくりへの貢献であるだろう。21世紀を超えて人類とその文明が豊かに生き続けるためには、あらゆる環境資源の有限性を理解したうえで、共存的進化と多様性のある調和、即ち永続可能な発展といった命題に挑戦していかねばならないだろうと考えている。そのためには建築と都市が人間と環境という共通の対象を介して新たな関係性を構築しなければならないだろう。 |